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【世界遺産検定1級 試験対策】《チュニジア》: 8つの世界遺産の写真&ポイントまとめ

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この春、世界遺産大辞典が改定されました!

世界遺産大辞典 第2版

 

 

これを機に世界遺産検定1級に挑戦される方、多いのではないでしょうか。

 

本記事は昨年7月、世界遺産1級に合格した私がそのノウハウを元に、チュニジアの8つの世界遺産について、写真たっぷりにまとめさせていただきました。

 

海外の世界遺産はとても数が多いですが、テキストの赤字部分黒字部分の出題がほとんどです。

マークシートですので、しっかり暗記しなくても、文字を見て思い出せればOK。

 

とはいえ

勉強を始めてみたものの、なかなかテキストのみだと写真が少なく、文字だけではイメージが湧きづらい部分もあるかと思います。

 

本記事はその辺りを補足させていただきました。

 

 

旅好き(&歴史好き)でしたらいくら勉強しても楽しいし決して損はない世界遺産検定、

これからのお勉強に、ぜひお役立ていただければと思います!

 

 

 
 
 
 
 

チュニジア世界遺産は8つ

 
 

1. カルタゴの考古遺跡

世界遺産検定1級 試験対策 チュニジア カルタゴの考古遺跡

 

カルタゴは紀元前9世紀頃、フェニキア人が築いた街。

紀元前6世紀ごろには地中海西部一帯の通商権を握り、「世界の覇者」とまで呼ばれる都市となったそうです。

 

高度な文化を持っていたと考えられており、ビュルサの丘は、カルタゴ発祥の地とされております。

 

サンセットがきれいな、この丘のことですね〜〜!

世界遺産検定1級 試験対策 チュニジア カルタゴの考古遺跡 サンセット

 

繁栄を極めた後、ローマとの争いに。

 

3度にわたるポエニ戦争では英雄ハンニバルの活躍も虚しく敗戦。

1度目と2度目は驚異的な復興を成し遂げましたが、そこに脅威を感じたローマ帝国、3度目の勝利の際はカルタゴを完全に滅亡させるべく、街を完全に破壊し、廃墟となった土地を鋤でならして塩をまく徹底ぶりだったとか。

 

しかし、ローマのカエサルによって、ローマ人の手で植民都市としてよみがえったそうです。

 

 

 

 

2. 古代カルタゴ都市ケルクアンとそのネクロポリス

こちらも先の古代カルタゴ都市。
フェニキア人が紀元前6世紀頃築いたとされる、古代都市と共同墓地の遺跡です。
 
 
先のカルタゴ遺跡のところで書きました、3回にわたってローマと戦ったポエニ戦争の1回目、
第一次ポエニ戦争で壊滅したのち、こちらは再建されることがなかったため、古代カルタゴの街をそのままに残している部分が多いのだそうです。
 
 
 

3. チュニスの旧市街

世界遺産検定1級 試験対策 チュニジア チュニスの旧市街

 

さっきから何度も出てきてますカルタゴVsローマのポエニ戦争後、 

ローマによって支配され、

ローマ崩壊後はビザンツ帝国の属州に、

7世紀にはウマイヤ朝ハサン・イブン・アル・ヌウマーンに占領され、イスラム都市に。

 

 

よく見るこの写真は、732年に築かれた大モスク=ザイトゥーナ・モスク(オリーブのモスク) 

世界遺産検定1級 試験対策 チュニジア チュニスの旧市街

 

 

 
 

4. エル・ジェムの円形闘技場

世界遺産検定1級 試験対策 チュニジア エル・ジェムの円形闘技場

 
古代ローマの遺構でありますこちら、
ローマのコロッセオ、カプアの円形格闘場に次いで、3番目の規模を誇る、アフリカ大陸最大の円形格闘場です。

世界遺産検定1級 試験対策 チュニジア エル・ジェムの円形闘技場

17世紀にオスマン帝国軍によって西側部分が破壊されたものの、ローマのコロッセウム以外では、唯一3層部分を残しており、他の都市の闘技場より良好に保存されているのも特徴。

 

ここエル・ジェムは「ローマの穀倉地帯」と呼ばれ、北アフリカで最も豊かだった地域の一つで、ローマ時代にオリーヴ油や穀物の輸出で栄えました。

ローマ帝国衰退後は、ベルベル人の要塞として利用されました。

 

 
 

 

 
 

5. スースの旧市街

スースは7世紀半ばから800〜900年間!イスラム教のアグラブ朝によって形成された旧市街。 
イスラム暦最初期における、イスラム都市の典型例とされています。
 
 
歴史上、海賊など、海を渡ってくる脅威に晒されてきましたが、リバトやグランドモスク、ブ・フタタ・モスク、カスバ(城塞)などからも見ることができます。
 
800〜900年間もの間存続したわけですからね! 難攻不落の都市だったのですね。
 
 
 
 
 

 

6. 聖都カイワラーン(ケロアン)

670年ごろ、中東のダマスカスから遠征したウマイヤ朝の将軍ウクバがビザンツ軍を撃破した際の宿営地がカイワラーンの起源だったそうです。

世界遺産検定1級 試験対策 チュニジア 聖都カイワラーン ケロアン 大モスク ミナレットと柱廊

 

写真はカイワラーンの大モスク。ミナレットと柱廊の写真は世界遺産大辞典にも載っていましたね。

 

 

大モスクの内部、こんな綺麗みたいですよ。 

世界遺産検定1級 試験対策 チュニジア 聖都カイワラーン ケロアン 大モスク 内部

 

9世紀に入ると、先のスースの旧市街でおなじみアグラブ朝の首都となり、交易都市として発展したそうですが、

11世紀の中頃、ファーティマ朝の攻撃を受けて衰退しました。

 

 

 

 

 

7. ドゥッガの考古遺跡

カルタゴと敵対していたヌミディア王国の都市。

 

こちら、カルタゴの英雄ハンニバルに対抗した軍長官アテバンの霊廟にその形跡が残されております。

 

 

と、まあ、テキストの赤文字と黒文字はこれでおしまい笑

 

なのですが、イメージを深くするために、インスタでよく見る、以下の2ショット載せておきます。

 

 

こちらおそらくテキストにも載っていた劇場跡

 

 
 
 
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そしてこちらが「キャピトリン神殿」

 

 

 

 

 

 

8. イシュケル国立公園

チュニジアの北部、フサイン王朝の王家にゆかりがあり、イシュケル湖を中心に大湿原に山や湖が点在する自然公園です。その面積126㎢!
 
 
 
 
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Lac d'Ichkeul

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高いところから、イシュケル湖の写真を取られている方、多いですね!
 
 
 
 
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Belhak haja waw

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湖南岸のイシュケル山からは、1800万年前の動物の化石や石器時代の石器類が発見されているそうなのですが、その山がこんな感じでしょうか。
 
 
 
 
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すみません、確認取れていないのですが、あくまで世界遺産検定対策として、イメージが湧けばということで、お許しを。
 
 
 
 
 

番外編:チュニジア世界遺産を巡るツアー

実はきちんと存在いたしております。

 
クラブツーリズムさんは世界遺産8つ全部巡るツアー

 

はじめてのチュニジア周遊8日間

チュニジアぐるり大周遊の旅10日間

エミレーツのビジネス利用(エコノミー利用ツアーもありますよ)

8日間のツアーの方は、スターウォーズロケ地には行かないようです。

 

 

 

JTBさんは、世界遺産は5つ、だけどスターウォーズのロケ地に寄ってくれる。

<羽田発>サハラ砂漠と遺跡、チュニジアン・ブルーの世界へ チュニジア周遊8日間

こちらはこちらでターキッシュ・エアラインズ利用ラブラブ

(エコノミー、ビジネス共に設定あり)

 

 

 

 

 

 

 

以上、チュニジアの8つの世界遺産、覚えやすい順に並べてのご紹介でした。

なんとなくイメージつきましたでしょうか?

 

少しでもお役に立ちましたら幸いです。

それでは、ご武運を!

 

 

 

〜参考図書〜